くよくよママンの育休レスキューログ

くよくよママンが家族に優しく過ごせるように、いろんな人や物に助けてもらった日々の記録

嵐の備忘録

土日二日連続で。38.0度超えていた、くよくよままんです。
木曜は、夫婦で仕事を入れ替えたりして、何とか半休で済ませ。
金曜は実母を召喚した。
一生懸命病児シッターさん探し中。
高い。。
でもそれ以前に、派遣エリア外。
銀座までドアtoドアで一時間なのになんでかな。
ようやく一件見つけて申込みしたけれど、実働はどうかな。。
 
ようやく気合で子どもを送り出して、
自分のために少し時間とお金を使った。
子どもを人形にしないために、私は人形や絵や花やお菓子や私が夢見るものを買う。
人にやさしく甘くあるために、自分に優しく甘く在る。
月の雫、花の涙。
手 元に集めるのは、ただひたすら自分に足りないものだ。
こんな表情になれなくてごめん。
きっと隣の席に座って横を見たら、冴えない表情の女の人。
もっと楽になって。力を抜いて。
 
今私を生かしてくれている感動を作ってくれている人たちは、
10歳以上上の女の人たちだ。
立場も、子供の有無もいろいろだけれど。
40歳になった時、誰かに幸せを届けれられるようになっていたい。
 
 
洗濯機が壊れた。
二回目。
石鹸洗剤が悪いのか。
でも皮膚トラブルも嫌だなぁ。
何種類か、違う洗剤を購入。
ずっと固定で楽だったのに、また試行錯誤しなきゃ。面倒。
 
人も物もよれよれだが、
そんな中でも思い出す幸せや何気ない記憶に驚くことがある。 
 
幼稚園の入園面接。一番古い、私の記憶。
幼稚園の運動会で、ビニールシートをぶわっと持ち上げて風船みたいなドームを作る出し物があってそれが好きだった。
お弁当を温める機械。アルミのお弁当箱。
小さなスーパーのバス。
少し家から離れたスーパーへ行く途中にある深い溝。
庭に植えたスミレ。
数軒隣にあったピアノ教室のヨーロッパめいたお部屋の大きなソファ。
くもんのブラインド。
夏休みをなふやふみと舌足らずに言っていた弟。
お出かけの帰り道、車を追いかけてくるお月様。
今の日々が積み重なって、30年後にこんな風に思い出される。
あの子らは元気にしているだろうか。