くよくよママンの育休レスキューログ

くよくよママンが家族に優しく過ごせるように、いろんな人や物に助けてもらった日々の記録

りかさんと薄氷

温泉!と叫ぶ3歳児のために、クナイプのバスソルトを入れた。
昨日はカミツレ
この名前が懐かしい。
昔、いろんな本の中で見たその花の名前は「かつみれ」だと思っていた。
カモミールという洒落た発音も知らず、あんなにかわいい花だとはつゆ知らず。
昭和のものが、アンティークになりつつある2016年。
つまり、私が手に入れて喜んでいるのは母や祖母世代の持ち物だ。
母や祖母のものは全く興味がないのに、なんだか不思議な気がする。
「りかさん(梨木香歩)」が読みたくて、買いに走った。気持ちを吸い取ってくれるお人形。
梨木さんの世界は、私の原点。
moonのおばあちゃんは間違いなく魔女だと今でも思う。

私が絵を買うようになったのは、一枚の絵からだ。
魔女が小学校のバザーで一目ぼれして手に入れた、
5000円の「イレーヌカーンダンヴェール嬢の肖像」の模写。
しゃがみこんでじっと見ていた姿がなぜか焼き付いている。
今も実家にの寝室にある。
そしてきっと数少ない遺品になるだろう。
まちゅまゆ様の絵を初めて見たとき、これを手に入れられるようになろうと誓った。
誓ったことは、たいてい叶えてしまう。もっと些細なことを、ささやかなことも誓いたい。

ひとりでゆっくり食事をするために昼休みにお店に来たのに、子どもの動画と写真ばかりを見る。ちゃんと直接本物を見てあげればいいのにと自分でも思う。でもお腹と背中に引っ付いていると視界には入らなくなってしまう。
テレビは、特にニュースは見ないようにしている。悲しみに目を向ける強さがないから。うっかり目に入ってしまって、苦しくて息ができなくなる。

ものもらいができたのは、余計なものを見ない方がいいということかもしれない。


そうこうするうちに、starは給食の離乳食を完食するようになり、ジュースをストローで飲み始めるように。
伝い歩きも間近。
バイバイと手を振ることも覚えてきた。
家族はただの同居人だと思う。
そこに努力なしで維持される運命の糸や絆なんてない。
一緒にいる時間を自分が楽しく過ごすために、相手を知る。
同じ景色を見て同じものを食べる時間をされて、初めて繋ぐ何かができてくる。
こどもをよしよしすると自分が落ち着く。手をつないで、沿い乳して、sunの隣で横になる。いい日だったねという。一緒にいてくれてありがとうという。明日も一緒にいてね、と約束して眠りにつく。少しだけ寝つきが良くなる気がする。





失敗は、いくらでもある。
その度、あーあ、と凹む。
でもその時点での最良は、間違いなく最良だったのだ。
過去に帰っても同じ選択をするだろう。
後からいうのは、傍からいうのは簡単だ。
後悔しても何も変わらないなら、それを次にどう生かすかだけ。

不愉快なマーブルは、よくよく見て向き合えば単色のドット。
みんな、周りの、あるいは自分の手抜きが許せないのだろう。
つまり「ずるい」の正体は、羨望と嫉妬なのだろう。
私をイライラさせる人は、しかし私を不幸にはできない。
そう気付いて楽になった。
あなたが幸せで楽しいのが一番の反撃なのだ。
薄氷の下には春の草の芽があるかもしれない。